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は「恩に報いる」という意味です。恩とは聖人が私たちに残したものは浄土真宗の教義です。基本的には仏教の教えなのですが仏教にも各種の宗派が存在します。皆さんご存知のように長く続いていた中東での戦火が先月から激化しています。彼らの神は決して戦争を推奨するような教えは説いていません。しかしそれを禁止することも無いようで、時には自らの信仰を守るために戦う必要があるとも説かれており、それも要因の一つとなっているようです。神を「善」とした世界の秩序が説かれている一神教の宗教では、それに相容れぬことを「悪」として時には教えの中でも神の側が武力をもってして悪の事態の是正や排除が行われています。

反面、仏教は歴史上において宗教戦争をしたことがありません。まず、多神教であり他宗教を積極的に取り込んでいった経緯があるからと言われています。また説かれている教えは本質的な「無」であり世界の秩序や常識という一見普遍的な考えからも離れることを目的としているからだと思われます。仏教とはどういった教えなのでしょうか。究極の目的として「悟り」というものがあり、仏陀という言葉には悟った者という意味があります。そしてその悟りの内容はとてもシンプルです。諸行無常・諸法無我・一切皆苦、この三つを理解することが悟りです。ただし、「理解」するとはこれらの表す意味と自分自身を同体とすることを意味します。この世には神や悪魔のような絶対的な善悪の基準はなく、すべての善悪は必ず「誰かにとっての」という概念になります。これらの本質を「無」と表現します。善悪という個人的な判断基準にとらわれることで起こる内面の様々な苦しみからの脱却を目指し、心の平安を得ることを目的としています。これらの事を言葉で理解するのと、自分自身が感じている不安や苦痛さえも「無」であるととらえることには大きな隔たりがあります。そのために正しい理論と実践が経典には説かれています。

さて、大まかに仏教について触れましたが浄土真宗の教義とはどのようなものなのでしょうか?浄土真宗では仏教を大きく二つに分けています。一つは自分の力で悟りの世界へ到達するグループです。このグループには多くの宗派が含まれ、仏教開祖の釈迦牟尼仏が実践したように出家して戒律を遵守し仏の悟りへと向かいます。もう一つは浄土真宗が含まれ、仏によって既に確立されたメソッドにより悟りの世界へ導いてもらうグループです。基本的には出家できない者に対する救済手段として説かれました。

浄土宗の法然上人は何千巻もある仏教経典の中から「念仏」の教えを見出し、出家者だけの教えになっていた仏教の門を、すべての者へ開きました。その弟子である親鸞聖人はその念仏の正当性を誰にでもわかるような解説と共に「教行信証」という書物を書きました。今日、拝読した正信偈もそこに書かれている一部分です。それらの内容は誰にでもわかるように書かれたといってもそれでも難しく、学問として真剣に取り組まなければ理解は難しいです。しかしやる気さえあれば誰でも仏の救いへ通じる教えが残されたからこそ、浄土真宗800年の歴史が築かれたのです。その第一歩である親鸞聖人の功績を恩と感じて精一杯報いていくのが報恩講の持つ意味となっています。どのようにして報いるのか?それはお念仏なのです。