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皆様、こんにちは。本日はこうしてお寺にお集まりくださり、この美しく尊い伝統であるお盆を共に迎えられましたことを、心より感謝申し上げます。日本から遠く離れたこのブラジルの大地を我が家と呼びながらも、皆様の胸の奥にご先祖様への変わらぬ愛情と大切な思い出が息づいている様子を拝見し、私は深く感動しております。

私たちの故郷である日本からこれほど離れた場所にあっても、自分たちのルーツをたどる心の絆が今なお強く結ばれているということは、本当に胸を打たれることです。何世紀にもわたり、本日も厳かに唱えられました阿弥陀経の美しい調べに導かれながら、お盆の伝統は私たちの先祖にとって、常に希望と慰めの灯台であり続けてまいりました。これは、すでに浄土へと旅立たれた方々の人生を讃え、その歩まれた歴史や教え、そして何世代にもわたって家族を結んできた愛を思い起こす貴重な機会なのです。そして本日、その温かな物語の新たな1ページが、またこの地で綴られようとしています。その1ページは、ただ過去を懐かしむだけでなく、私たちの未来の歩みをも明るく照らしてくれるものです。

「なぜ、いま過去を振り返る必要があるのだろう? 旅立たれた方々とのつながりが、なぜこれほどまでに大切なのだろう?」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。けれど皆様、植物が美しく花を咲かせるためには地中に力強い根を張らなければならないように、私たち人間もまた、自らの歴史や心の源流をみつめ、育むことで初めて、心豊かな人間として大輪の花を咲かせることができるのではないでしょうか。

先祖と子孫の命を、それぞれ切り離された遠い存在のように考えてしまうことは容易いことです。しかし真実は、私たちはみな、過去から未来へと絶え間なく流れ続ける、大きな一つの「命の川」の一部なのです。その川は人類の歴史、私たちの家族の絆、そして民族の歩みを乗せて滔々と流れています。この大いなる流れの中で先祖を敬うことは、未来の世代へ贈る愛と希望の営みにほかなりません。家族を大切にする心、感謝の念、そして私たちより先に歩まれた方々への敬意を、次の世代へと伝えていくことなのです。

日本の故郷では夏の暑さの中でお盆が迎えられますが、ここブラジルでは、私たちは冬のひんやりとした静けさの中で身を寄せ合っています。それでも、気候や距離にどれほど違いがあろうとも、このお寺を包む温かな空気は全く変わりません。どこか懐かしいお線香の香り、胸をじんと温めてくれる切なくも優しい慕情、そして、どれほどの距離と時間が隔てようとも、先立たれた大切な方々への愛と感謝が消え去ることはないという確信が、ここには満ちています。

お浄土の教えにおいて、私たちが愛し、先立っていかれた大切な方々は、阿弥陀仏の限りない慈悲の光に包まれて、お浄土に往生(新たに誕生)されたと受け止めます。ですから、私たちは今日、ただ「失われたこと」を悲しむために集まったのではありません。私たちが深く愛する方々の、尊い人生とその確かな足跡を祝い、偲ぶために集まったのです。彼らを想うとき、私たちの心には深い思慕とともに、時には「もっと両親と一緒に過ごしていれば…」「もっとあの時に愛していると伝えていれば…」という、悔いのような想いが込み上げてくることもあるでしょう。けれど、どうかそのお気持ちを、ご自身を責める刃にしないでくださいね。それはただ、あなたがその特別な方を今も深く愛し、その存在がどれほど大きかったかを表す、愛の裏返しにすぎないのですから。その想いを、今日という一日をより深く、思いやりと感謝をもって生きていくための力へと昇華させてまいりましょう。

先立たれた方々の思い出が、私たちをより優しく、より誠実で、周りの方々の心に寄り添える人間へと育ててくれますように。どうぞ周りを見渡してみてください。皆様お一人おひとりが、すでに旅立たれた大切な方の歴史と愛を、その身にしっかりと受け継いで歩まれています。たとえ言葉を交わしたことのないお顔であっても、そこには同じ深い想いと明日への希望が宿っているのを感じられます。この世界において、私たちは決して一人ぼっちではありません。私たちは皆、目に見えない愛と思いやりの糸で固く結ばれているのです。このお盆の法要が、皆様にとって自らの根源と深くつながり、家族の絆を温め、そしてお念仏の安心をさらに深める大切なひとときとなりますよう、心より念じております。阿弥陀仏の温かな光が私たちの心を照らし、皆様の歩みを常に幸せへと導いてくださいますように。なんまんだぶ。