皆さん、こんにちは。今日はmogi本願寺の報恩講へようこそおまいりくださいました。報恩講とは、親鸞聖人の教えに感謝し、その恩に報いる法要です。親鸞聖人は、私たちに大切なことを教えてくれました。それは、私たち人間は決して一人ではなく、たくさんの命とつながり合って生きているということです。
仏教賛歌『報恩講のうた』には、私たちはいつも三人でいるとあります。それは、私自身、阿弥陀如来様、そして親鸞聖人。この三人です。阿弥陀如来と共にいるということは、私たちの人生が、過去や未来、そして世界や遠い宇宙のあらゆる出来事と深く繋がっているということです。親鸞聖人と共にいるということは、その教えが、多くの人と人との出会いによって今日まで大切に受け継がれてきたことを意味します。
お寺は、目には見えない仏様の世界と、親鸞聖人をはじめとする亡くなった大切な人たち、そして今を生きる私たちを繋ぐ、かけがえのない場所です。今日は報恩講にあわせて、亡くなられた方々の追悼読経も行いました。大切な方を亡くされた悲しみは、どれほど深いものか計り知れません。「もっと一緒にいたかった」「なぜ、あの人は逝ってしまったのか」そう思うほど、悲しみは大きくなります。
しかし、仏教では、「死という苦しみ」の根本は、亡くなった方にあるのではなく、残された私たちの旨の内に感じている「喪失感」にあると説きます。亡くなった方は、阿弥陀如来様の慈悲の世界で安らかに過ごしておられます。もう会ことの出来ない「あの人」との時間に思いを馳せながら、同時に、あの人が安らかに過ごしていることを信じ、私たちは前を向いて歩んでいくのです。
死後の世界は、この世から最も遠い場所にあるように思えます。しかし、それは私たちにとっていつか必ず行く場所であり、最も身近な場所でもあるのです。阿弥陀如来様は、亡くなった方だけでなく、悲しみに暮れる私たちをも、あたたかく包み込んでくださいます。どうぞご安心ください。故人を偲び、その愛した世界を大切に思いながら、周りの人たちと手を取り合い、共に生きていきましょう。