皆さんこんにちは。本日もようこそお参りくださいました。それでは今日の話を始めます。あなたはどこから来ましたか?これは仏教の根本的な問いにも繋がります。仏教では、私たちは無から来て、無へ還ると説きます。
宇宙では何百億年という気の遠くなるような時間の中で、様々なものが誕生しては消えていきました。私たち人間のたった数十年の生涯は、広大な宇宙の時間スケールから見れば、一瞬でしかありません。しかし、その一瞬の命の輝きの中に喜びや悲しみで心を満たしかけがえのない時間を送るのです。その中で、すべての人は一日24時間という時間を平等に与えられます。それをどのように使うかは、私たちの自由なのです。あなたなら、どのように使いますか?
こんな例え話があります。ある大学の講義で、教授が学生たちを前に話を始めました。教授は机の上に大きな瓶と、ゴルフボールがたくさん入った袋を置き瓶の中に、袋からボールを入れていきました。瓶の口までボールで一杯になったところで、教授は質問しました。「この瓶はもう満杯ですか?」学生たちは皆、「はい、満杯です」と答えました。
教授は次に、小石がたくさん入った袋を取り出し、その中身を瓶に注ぎ始めました。ボールの隙間に、小石がどんどん入っていきます。かなりの量の小石が入り、もう入らないと思われたところで、教授は再び質問しました。「では、これでこの瓶は満杯になりましたか?」学生たちは、先ほどの経験から少し考えた後、「はい、今度こそ満杯だと思います」と答えました。
しかし教授は、さらに砂がたくさん入った袋を取り出し、その中身を瓶に注ぎ始めました。ゴルフボールと小石の隙間に、砂がさらさらと流れ込んでいきます。かなりの量の砂が入り、瓶は見た目にもう限界に見えました。教授はまた質問します。「これで、この瓶は満杯になりましたか?」さすがに学生たちは、「いいえ、おそらくまだ満杯ではないと思います」と答えました。教授は最後に、水の入ったピッチャーを取り出し、ゴルフボール、小石、砂が入った瓶に、水を注ぎ込みました。
そして教授は、学生たちにこう語りかけました。「この実験が意味することは、最初に水や砂を入れてしまったら、後からゴルフボールを入れることはできないということです。ここでいうゴルフボールとは、人生において最も大切なものを指しています」
私たちには誰しも平等に時間が与えられています。今日という一日をどう過ごすか、その積み重ねが、生まれてから死ぬまで、つまり人生そのものをどう生きるかに繋ります。先ほどの話で言えば、私たちにとってのゴルフボールとは、自分の心に最初に何を満たしていくのかという問題なのです。私たち本願寺では、「死んだらどこへ行くのか?」という問いを、人生において最も大切な問題として捉え、それを軸に生きることを大切にしています。そして、その答えは「仏様のところへ行く」ということです。私たちがこの世で出会い、そして先に旅立っていった大切な人たちがいる仏様の世界。私たちも、いつか必ずその世界へと還っていく。その確信は、迷い多き人生を歩む私たちにとって、確かな道しるべとなるでしょう。