もしも、あのとき何か一つでも違う道を選んでいたら。私たちは毎日、たくさんのこれを選ぶか、あれを選ぶかということを繰り返して生きています。時間が余ったから早く出かけようとか、お昼はどこのお店で食べようかとか、いつも何かを決めています。コーヒーに砂糖を入れるか、それとも今日はやめるか。そんな小さなことでも、私たちは選んでいるのです。
私たちの前には、進むことができる道がいくつもあります。その中から、いつも一つだけを選んで、今日まで歩んできました。でも、私たちは本当に自分の力だけで、自由にそれを選んってきたのでしょうか。今という場所からこれまでの人生を振り返ってみると、すべてのことは、こうなるしかなかった必然だったのではないか、と思えてきます。もしあのとき、違う学校に行っていたら。もしあのとき、違う場所へ旅行に行っていたら。私たちが偶然ここにいると思っていることは、実は最初から決まっていたのかもしれません。これは不思議な奇跡でしょうか。それとも、当たり前のことでしょうか。
解き明かしてこれから私たちはどこへ向かっていくのでしょうか。明日のことは、私たちには誰にもわかりません。けれど、今よりも良くなってほしいと願うことはできます。そのために一生懸命に何かをすることはできます。私たちはそれを、人生と呼んでいます。先が見えないからこそ、私たちは明日に希望を持つことができるのです。
このように、私たちのこれからのゆくえを、最初からずっと見ていてくれる存在があります。それを私たちは、仏様と呼んでいます。仏様が見つめている私たちの未来とは、私たちがいつか必ず、仏様の国、お浄土に生まれるということです。誰がどんな人生を歩んでも、どんな生き方をしてしまっても、仏様は必ずお浄土へ連れていくと、今も私たちを信じて待ってくれています。そうやって、私たちの先に出発していった大切な人たちも、みんな仏様になって、今の私たちを見守ってくれています。
どんな道を歩んでも、最後は見捨てられることはない。先が見えなくて不安な私たちに、戻っていく故郷があることを教えてくれる。今日は、そのいちばん大切な安心を私たちに届けてくださった、親鸞聖人の誕生日をお祝いする法要です。