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無明の闇を破るゆえ 智慧光仏となづけたり 一切の諸仏三乗も ともにその徳をほめたまう。

皆さんこんにちは。本日もようこそご参詣くださいました。普段見過ごしがちなことなのですが、「私たちは目に見える一部分だけで何かを判断しがちですが、本当に大切なつながりは、目に見えないところにこそ存在する」ということがあります。今日はそんなお話を少ししたいと思います。

私たちは普段、意見が合わない人や、キツイ人に出会うと、その「厳しさ」や「頑なさ」という目に見える部分だけで相手を決めつけ、嫌だなと思ってしまいがちです。でも、そのキツさの裏側には、昔傷ついたことがあったり、何かを守ろうとしている優しい一面が隠されているだけ、なこともあります。世界には、優しいだけの人間も、厳しいだけの人間もいません。どんな人も、あなたと同じように、優しさも厳しさも、喜びも悲しみも、すべてをその心に抱えて必死に生きているのです。

このように、目に見える姿だけにとらわれず、「いや、それだけじゃない」と、気づこうとする心の働きこそが、仏教では「智慧」とよばれます。そして、すべてを見通せない世界で、ただ一人、あなたの心の奥底まですべて見つめ、包み込んでくれる存在を、私たちは「阿弥陀如来」つまり仏さまと呼びます。仏さまは私たちに智慧を授けてくださるのです。

この仏さまから授かった心の眼を、今度は、すでに亡くなられた大切な人々とのつながりに向けてみましょう。今日皆さまは大切な人の位牌を、その思い出を胸に抱えてご参詣されました。彼らの肉体や命は、確かに、もうこの世界には存在しません。眼で見ることも声を聴くことももうできません。しかし、私たちがその存在を心に想い、あの日の声に耳を傾けようとする限り、大切な人たちは、目に見えない温かなはたらきとなって、今も私たちの歩みを支え続けています。死してなお、私たちを支え、癒やし続けてくれる存在。それこそが、仏さまなのです。

このように、大切な人たちとのつながりを大切に思う気持ちこそが、私たちが阿弥陀如来のお慈悲を頼りとして浄土への往生を願う心であるお念仏へとつながっていきます。世界をあるがままに見るということは、目に見えない部分、見落とされがちな故人からの慈悲を一生懸命に見ようとすることにほかなりません。確かに私たちの命は有限ですが、ご先祖様から私たち、そして未来の子孫へとつながる歴史の流れは、時間と空間を超えて今も決して途切れない一本の線でつながっています。

ナンマンダブという言葉ははるか昔から、人から人へと今日まで続いてきました。本日、この10周年という大きな節目を迎えられたのは、まさにその目に見えない先人たちとのお念仏の絆があったからです。この紡がれてきた尊い歴史の一ページを、清水先生、堀井さん、柴田さんをはじめとする、多くの皆さまのご尽力とともに迎えられたことに、そして、ここに一同がそろってお念仏申せることに心からの喜びを申し上げます。